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第10回 MJサロン~船窪小屋の松澤寿子さんをお迎えして [報告]

12月9日に第10回MJサロンを開催しました。
ゲストは船窪小屋の松澤寿子さん、宗洋さんご夫婦、コーディネーターは北村節子さんです。
会場は今回も、公益社団法人日本山岳会のルームをお借りしました。

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小屋では、「お父さん」、「お母さん」と呼ばれるお2人

今回、田部井さんと会うことをとても楽しみにしてくださっていた寿子さんをはじめ、誰もがこの席に田部井さんがいないことをさびしく感じたことと思います。

最初にサポーターの柏さんから、MJリンク台湾遠征の簡単な報告とともに、2009年春に田部井さんが呼びかけ人となり発足したMJリンクですが、サークルの趣旨である「リンク」=「つながり」を大切に、これからもみなさんと変わらずおつきあいさせていただきたい旨のお話をさせていただき、ずっとMJリンクに参加してくれている田部井さんのご長女・教子さんからも、あたたかいお言葉をいただきました。

田部井さんと43年来の友人である北村さんからは、「いろんなことを教わりました。優しいおばさんに見えるけれど、実は闘魂の人。いい人と半生を一緒に過ごさせてもらいました。」とお話しいただきました。

ここからは、北村さんの、「今日も楽しくやりましょう!」のひとことを皮切りに、松澤さんご夫婦との楽しい掛け合いがはじまり、会場内は何度も笑いの渦に包まれて、ここにいる誰もが、来年は必ず船窪小屋に泊まりに行こう!と心に決めたに違いありません。

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北村さんの楽しい茶茶に盛り上がる会場

船窪小屋は、北アルプス・七倉岳の稜線(2,450m)に建つ電気のない山小屋で、シンボルのランプと囲炉裏、そして山上とは思えない「ずく」をつくした御馳走と温かいおもてなしで有名な宿です(ずく:長野弁で「手間暇」のような意味)。

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「芯の扱いが難しい」と宗洋さん。何度このランプに火を灯したことでしょう

小屋を建てた寿子さんのお父様が、その年の冬に雪崩で遭難されたのが1955年。当時服飾デザイナーを夢見る高校3年生だった寿子さんでしたが、お父様の遺志を引き継ぐ決心をされます。その後、荷揚げを手伝ってくれていた「大町山の会」の創立メンバーである宗洋さんと1961年に結婚、2人で力を合わせて長い間小屋を守ってこられました。

「今年で63年目になります」という寿子さんの穏やかな声に、会場からはため息がもれました。大町で子育てをしている間、宗洋さんに小屋の切り盛りをお任せしていた時期もあったようですが、子育てが終わった50歳代終わりからは、本格的に復帰されたという寿子さん。北村さんの、「普通なら楽をしたくなる歳に、なぜ?」との問いに、「やはり2人の原点だから」と静かにおっしゃっていました。

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前列右から、寿子さん、お父様、一人おいて宗洋さん

冷蔵庫のない小屋で、冬から春にかけて里で手作りしたふき味噌やカリカリ梅などの保存食を持ち上げて、乾物を工夫し、石室に保存した野菜とともに、人参に飾り切りまで施して、一品一品美しく器に盛りつけて食事をふるまう小屋が他にあるでしょうか。

読んで字のごとくの「御馳走」を惜しみなくふるまってくださるのも、それが食事の原点だと考えてこそのおもてなしなのだと思います。その心意気に、小屋から30分離れた悪場にある水くみや登山道の整備まで、常連のお客さんが手伝ってくれるようになったというのも、自然な流れなのだと頷けます。

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名物は「アザミの天ぷら」

アプローチが大変で、近くに百名山がないという不利な立地にありながら、その心づくしのおもてなしを何度となくマスコミに取り上げられたこともあり、最近は小屋に泊まることを目的にした若いお客さんも増えてきたそうです。

名物は御馳走だけではありません。あまり宣伝されませんでしたが、小屋の前のベンチから北アルプスの主峰をすべて眺めることができ、反対側には安曇野や長野南部の平野を挟んで飯綱山から浅間山、富士山まで見渡せるといいます。

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槍ヶ岳をはじめ、北アルプスが一望の下に

その後の質問タイムでは、「長い山小屋経営で、ピンチもあったのでは?」という問いに、経済的な危機はあったけれど、自分だけで何とかしなければという呪縛にとらわれていたのを、ふっと肩の力を抜いてありのまま周りにお伝えしたら、なぜかその次の年からお客さんが増えたといいます。

先代の小屋を今の場所に建て替えるときも、「絶対採算が合わないからやめろ」と止めた人が、今は、「採算より、お客さんとのつながり、小屋に関わるすべてが2人の財産だね」と言ってくれたのが、本当にうれしかったとおっしゃっていました。

また、7月から10月連休までの営業期間のおすすめの時期を聞かれ、海の日を外せば大丈夫、梅雨は明けていないけど7/10くらいまでならシラネアオイ、7/20くらいまではオオヤマレンゲ、7月末まではイチョウランが見頃とお父さんが答えます。

そして、まだ続けてほしいけれど、もし山をおりたら何をしたいかと聞かれ、お父さんは趣味の菊作りを、お母さんは一番いい時期をずっと小屋で過ごしてきたので、その期間の他の山に登りたいとお答えになり、それは当然だとみなさん納得。そういうお2人も、なにげにネパールの5000m級の山には何回もお出かけのようです。

最後に寿子さんからのお願いとして、「最近スマホの情報だけで、予報が雨だからといって山をおりようとする人がいるけれど、観天望気が一番確実。たとえ降ったとしても、リュックの中には雨具があるでしょう?それいつ使うの?と引き留めるんですよ」と、スマホ頼りの風潮に対して、五感を働かせた情報の大切さを訴えられていました。

それにしても、この会場にいらっしゃる寿子さんは、気品のある優雅な物腰の奥さまという様子で、80歳の今もコースタイム6時間の急な七倉尾根を登り、3ヶ月以上忙しい山小屋生活を送られているイメージがわきません。北村さんから、「どうしてそんなにお肌がおきれいなんですか?秘訣は?」と突っ込まれていたほどです。

きっとそれは、田部井さんがにこやかな佇まいの裏に強さを秘めていたのと同じで、本当に強い人というのは、このような雰囲気を醸し出すものなのでしょう。次回はぜひ、トレードマークの絣姿の寿子さんに天空の小屋でお会いしたいと思ったのは、私だけではないはずです。

【TV番組情報】
ネイチャー&ヒューマンスペシャルシリーズ2016 北アルプス稜線のふるさと ~ランプの山小屋だより~ 長野朝日放送 12月26日(月)夜7時 放送
BS朝日 2017年1月31日(火)夜9時 放送

【プロフィール】
松澤 寿子(まつざわ・としこ)さん

■略歴
1936年  長野県平村野口(現在の大町市)生まれ。三姉妹の末娘
1961年  長野県小谷村出身の松澤宗洋さんと結婚
1963年  夫婦ふたりで力を合わせて大町市内に旅館「七倉荘」、栂池高原にスキーロッジ「白馬ベルグハウス」を開業
*現在、ベルグハウスは、息子さんご夫妻が経営
2003年  『私は山の上のお母さん』出版

■船窪小屋について
1954年秋 福島宗市さん(松澤寿子さんのお父様)が、北アルプス・七倉岳の不動沢側に山小屋建設
      これが、初代「船窪小屋」となる

1955年冬 冬の間の山小屋の様子をみると登りにいった宗市さんは、雪崩に飲まれ遭難死
      当時18歳だった寿子さんは、悩みながらもお父様の遺志を継ぐ決心をする
      のちに結婚する宗洋さんら山仲間たちの協力を得ながら、経営再開

当時、宗洋さんは黒部ダム工事の設計課勤務。土曜日午前で仕事が終わると黒部ダム建設現場から平の渡しを経て針ノ木谷(針ノ木古道)を上って船窪小屋へ。週末を山小屋で過ごし、月曜朝に船窪小屋からダム建設現場へ出勤していた

1976年  現在の位置(七倉尾根上)に、小屋を移築
2003年  船窪小屋50周年
2007年  2年がかりで針ノ木古道(黒部側から針ノ木谷をなぞって船窪小屋へ至る登山道)を復活
2009年  船窪小屋に通う登山者たちが「船窪小屋・道しるべの会」を発足。登山道整備などに献身

*現在も電気がなく、ランプの灯りで生活。7月1日~10月の連休の最終日まで営業。
http://funakubogoya.net/
https://www.facebook.com/funakubogoya/

(MJリンクサポーター 大久保由美子)

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