第六回MJサロン 平野紀子さんをお迎えして [報告]
少し前になりましたが、3月24日夜に第六回MJサロンを行い、尾瀬長蔵小屋の平野紀子さんのお話を伺いました。
MJサロンは田部井淳子さんが「若い女性に先輩の女性たちから登山や毎日の暮らしにまつわる話を聞いてもらいたい」ということではじまった会ですが、今回で6回目となります。
会場は今回も青山にある、株式会社ビオクラ食養本社が運営している「ビオクラスタイルクッキングスクール」をお借りしました。夕食のお弁当はビオクラさんよりご紹介いただいたハナダロッソさんのオーガニック玄米菜食のお弁当です。
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今回のゲストである尾瀬長蔵小屋の元ご主人である平野紀子さんは、北海道新聞の記者をされていました。そこで同じく記者をされていた平野長靖さんと知り合いご結婚され、尾瀬長蔵小屋の後を継ぐことになりました。波瀾万丈ともいえる、その後の女一代記のようなお話でした。
昭和30年頃より尾瀬に入る人たちの増加にともなって自然破壊が危ぶまれる中、ご主人の長靖さんは道路を作る計画に反対、当時の環境庁長官に直訴し道路計画を取りやめるなど、環境保護運動の先駆けとなりました。しかし、小屋の仕事に加えて保護活動などの激務をこなしていたその冬の12月、小屋から出発した途中で吹雪になり、36歳の若さで過労のために急逝されてしまいます。このとき紀子さんは30歳で、3人の子供を抱え、おまけに多額の借金も抱えて、どうしたらいいのかと途方に暮れたそうです。
その後、腹をくくって自らが小屋の主人となり、子どもたちをおばあちゃんに預けて、現場に入られました。必死で働き、借金も無事返すことができると、「山小屋も面白いな」とやる気になってきたといいます。その後もとにかく山小屋中心の生活と同時に、ゴミ持ち帰り運動など尾瀬からはじまった活動などに、自然保護活動に深く関わってこられました。
息子さんも大人になり、「後を継いでも良い」と自らの意思もあって、60歳となったときに次世代にバトンタッチしたそうですが、その後また波乱に見舞われました。いきなり新聞社から問い合わせを受け、「ゴミを埋めた」という疑惑でニュースになってしまいました。ご本人が知らないところでの出来事だったといいます。それでも、またそれに真っ向から向かい合って解決したそうです。思えば、初代のおじいさんの頃から宿命的に自然保護というテーマで戦わねばならない宿命にあったのだろうと、おだやかなやさしい笑顔で振り返っているのが印象的でした。
山小屋を経営していて一番いいのは、いい人間と出会えること、そしてすばらしい景色を見ることができること、だそうです。人生ずっと山と関わってきたけれど、いまでも山はいいと思うのだそうです。
都度起きる大きな問題にも真っ向から向き合って解決し、小屋を尾瀬を守り続けてきた気骨ある姿た印象的でした。まさに女性の大先輩から力強く生きなさいとメッセージをいただいたように思いました。ありがとうございました。
MJリンクサポーター
恩田真砂美
MJサロンは田部井淳子さんが「若い女性に先輩の女性たちから登山や毎日の暮らしにまつわる話を聞いてもらいたい」ということではじまった会ですが、今回で6回目となります。
会場は今回も青山にある、株式会社ビオクラ食養本社が運営している「ビオクラスタイルクッキングスクール」をお借りしました。夕食のお弁当はビオクラさんよりご紹介いただいたハナダロッソさんのオーガニック玄米菜食のお弁当です。
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今回のゲストである尾瀬長蔵小屋の元ご主人である平野紀子さんは、北海道新聞の記者をされていました。そこで同じく記者をされていた平野長靖さんと知り合いご結婚され、尾瀬長蔵小屋の後を継ぐことになりました。波瀾万丈ともいえる、その後の女一代記のようなお話でした。
昭和30年頃より尾瀬に入る人たちの増加にともなって自然破壊が危ぶまれる中、ご主人の長靖さんは道路を作る計画に反対、当時の環境庁長官に直訴し道路計画を取りやめるなど、環境保護運動の先駆けとなりました。しかし、小屋の仕事に加えて保護活動などの激務をこなしていたその冬の12月、小屋から出発した途中で吹雪になり、36歳の若さで過労のために急逝されてしまいます。このとき紀子さんは30歳で、3人の子供を抱え、おまけに多額の借金も抱えて、どうしたらいいのかと途方に暮れたそうです。
その後、腹をくくって自らが小屋の主人となり、子どもたちをおばあちゃんに預けて、現場に入られました。必死で働き、借金も無事返すことができると、「山小屋も面白いな」とやる気になってきたといいます。その後もとにかく山小屋中心の生活と同時に、ゴミ持ち帰り運動など尾瀬からはじまった活動などに、自然保護活動に深く関わってこられました。
息子さんも大人になり、「後を継いでも良い」と自らの意思もあって、60歳となったときに次世代にバトンタッチしたそうですが、その後また波乱に見舞われました。いきなり新聞社から問い合わせを受け、「ゴミを埋めた」という疑惑でニュースになってしまいました。ご本人が知らないところでの出来事だったといいます。それでも、またそれに真っ向から向かい合って解決したそうです。思えば、初代のおじいさんの頃から宿命的に自然保護というテーマで戦わねばならない宿命にあったのだろうと、おだやかなやさしい笑顔で振り返っているのが印象的でした。
山小屋を経営していて一番いいのは、いい人間と出会えること、そしてすばらしい景色を見ることができること、だそうです。人生ずっと山と関わってきたけれど、いまでも山はいいと思うのだそうです。
都度起きる大きな問題にも真っ向から向き合って解決し、小屋を尾瀬を守り続けてきた気骨ある姿た印象的でした。まさに女性の大先輩から力強く生きなさいとメッセージをいただいたように思いました。ありがとうございました。
MJリンクサポーター
恩田真砂美
2015-06-08 11:55
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